【おせちの歴史完全ガイド】おせちの由来やその歴史、重箱の意味など徹底解説!

【おせちの歴史完全ガイド】

「なんでおせちって名前なの?」

「入っている食材に意味はあるの?」

「いつからおせちって食べてるの?」

こんな疑問を感じたことはないでしょうか?

おせちは日本のお正月の定番として、多くのご家庭で親しまれています。地方によっての特色や風習などが加わることもあり、おせちを食べることで遠く離れた故郷を思い出すという方もいるでしょう。

自宅で何日も前から準備を始め、1つ1つを手作りするご家庭。

デパートや料亭など、高級なおせちで新年を迎えるご家庭。

おせちの形はそれぞれですが、どんな歴史があり、どのようにして一般家庭に普及してきたのか知る方は非常に少ないのではないでしょうか?物心ついたころから、おせちはお正月に食べるものとして当たり前のようにあったという方がほとんどでしょう。

この記事では、お正月の風物詩の代表とも言えるおせちの歴史、その由来などについて、詳しく探っていきます。

おせちとは?

おせちは、ただ単に新年を祝うために食べるものではなく、もともとは神様へお供えするための供物料理です。この神様は年神様と言い、「歳徳神」とも呼ばれています。年神様は高い山から降りてきて、家々に新年の幸せをもたらしてくれます。

昔の人々は先祖の霊が田の神や山の神、お正月には年神様になって子孫の繁栄を見守ってくれていると信じてきました。そんな年神様へのおもてなしとして準備されるのがおせち料理です。

例えば同じように新年は鏡餅を飾りますが、これも年神様へのお供えとされており、お正月に行う風習は年神様にまつわるものが数多く存在しています。

なぜ重箱なの?

おせち料理とは、豪華な見た目が目を惹く印象が強いですが、重箱に入れられているといったイメージも強いのではないでしょうか。一般的に最も多いのが三段重ですが、四段や五段のおせちなどもあります。

  • 福を「重ねる」、めでたさを「重ねる」という意味が込められている
  • お年賀に来られるお客様へのお料理として出しやすい
  • 保存がきく
  • 「喰積」と呼ばれる祝い肴を重箱に入れていたことが起源

上記のように、始まりの意味や理由などは非常に様々あります。重箱に入った豪華絢爛な料理は、新年を迎える祝いの席にとてもふさわしく、縁起のいいはじまりにピッタリと言えるでしょう。

おせちの正式な段数は?

先ほども触れたように、おせちには様々な段数のものが存在しています。正式な段数は四段とされており、上から順番に一の重、二の重、三の重、予の重と呼びます。四段目を「四の重」と呼ばない理由として、この四が「死」を連想させる発音と重ねり縁起が悪いということが挙げられています。

また、各々の段に詰める料理の数は、5、7、9種類と奇数で詰めると縁起がいいと言われています。新年を迎え入れるためのおせち料理は、こうした細かな部分でも縁起の良さを重視しているのが非常に特徴的です。

「おせち」の由来とは?

そもそもこのおせちという名前は、暦上の節句を意味する言葉になります。季節の節目の「御節句」、「御節料理」として作られたもので、現代で年の初めの一番最初の節供に作られるものとしておせち料理があります。

おせちは漢字で「御節」と書きます。暦上の「せちく」に「お」つけた【おせちく】という言葉から「おせち」という名前になったとされています。

また、おせち料理は作り置きが可能な食材が非常に多く用いられています。これは、「お正月にかまどの神様を休ませることが出来る」という意味や、「三が日は主婦を家事から解放させる」といった意味も込められているんです。

五節句とは?

五節の「節」とは、もともとは中国の唐の時代に定められた季節の変わり目の事を指します。暦の中では、奇数が重なる日は陰になる日とされ、邪気を払うための「節会」という催し物が執り行われていました。

日本では1月7日の人日(じんじつ)、3月3日の上巳(じょうし)、5月5日の端午(たんご)、7月7日の七夕(しちせき)、9月9日の重陽(ちょうよう)といった5つの節目に邪気を払うための宴が開かれるようになり、これが五節句と呼ばれるようになりました。

1月1日の元旦は1年の中で最も別格な日となっており、正月は7日が五節句のなかに取り入れられています。現在この制度は廃止されていますが、今でも年中行事の一環として定着しているものもあります。

1月7日・人日七草の節句七草がゆを食べる
3月3日・上巳桃の節句・雛祭白酒や菱餅を「食べる
5月5日・端午菖蒲の節句・端午の節句菖蒲酒。関東では柏餅、関西や中国ではちまきを食べる
7月7日・七夕七夕(たなばた)索餅。現代では素麺を食べる
9月9日・重陽菊の節句菊を浮かべた酒などを飲む

地域などにより細かな部分は変わりますが、上記のような風習は今でも根強く残っており、中でも桃の節句や端午の節句は、子供たちの健康と成長を祈る祝い事として欠かせないものとなっています。

祝い箸とは?

御節を食べる際に一緒に準備されるのがこの祝い箸です。実は、この祝い箸も年神様にまつわる風習の1つとなります。

祝い箸は、両方の先端が細くなっているため、別名「両口箸」と言われています。一方は神様が、もう一方は人が使用するとされており、「神人共食」という意味になります。

新年に訪れ幸福をもたらしてくれる年神様と供に食事をする。こういった大きな理由があるのがこの祝い箸です。また、神様と共に食事をするため、使用していない方の先端を取り箸として使用することはタブーとされているので注意しておきましょう。

なぜおせちを食べるの?

先ほどご紹介したように、おせちを食べるのは、神様を迎え入れ共に食事をし、幸福や無病息災を願うためとされています。しかし、お正月の料理として知られているおせちですが、実はもともとは大みそかに食するものでした。

「神様を迎え入れて料理を供え、ごちそうを共に食し無病息災を願う」という行いは、年はじめではなく年の終わりに行っていました。

今でも一部地域では、大みそかの日に「年取り膳」を食べるという風習が残っている所もあります。これは大みそかの日没以降に降臨される歳徳神と共食するという習わしですが、現代では多くの地域で大みそかに食するものが「年越しそば」に取って代わっています。

おせちの歴史

おせちは非常に古い歴史を持っていますが、そのルーツや始まりを詳しく知っているという方は少ないのではないでしょうか。ここでは、新年に食するおせちの始まり、どのように生まれどのように広がっていったのかなどを詳しくご紹介致します。

おせちの始まりは弥生時代

おせちの起源は、なんと弥生時代まで遡ることになります。縄文時代の終わりごろ、中国から稲作が伝来しました。それが弥生時代にかけて広がっていき、それまでは狩猟中心だった生活が農耕中心社会へと変化していきました。

また、中国から節を季節の変わり目とする暦も伝わり、節ごとに神様へ収穫を感謝するようになっていきます。ここで「節供」といわれるお供え物をする風習が誕生しました。先ほどご紹介したように、この節供としてお供えするための料理を「節供料理」といい、これが現代のおせち料理の始まりとされています。

定着したのは奈良時代から平安時代

弥生時代から始まったおせち料理ですが、それが風習ではなく行事として定着したのは奈良時代から平安時代になります。この時期、節の儀式が宮中行事として行われるようになりました。中国「唐」の暦法にもとづき、節目の日である節日に、邪気を払い不老長寿を祈る儀式として「節会」が催され、ここで「御節供」と言われる料理が振舞われました。

特に記事冒頭で紹介した五節句は非常に重要視されており、「五節会」と呼ばれていたとされています。

  • 1月1日・元旦
  • 1月7日・白馬(あおうま)
  • 1月16日・踏歌(とうか)
  • 5月5日・端午(たんご)
  • 11月・豊明(とよあかり)

当時は上記のような五節句でしたが、11月だけ日付が決められていません。11月の豊明は、新嘗祭の翌日の辰の日に行われており、新嘗祭が問題なく終了した後に「豊明節会」という節句行事が行われます。そのため、他の節句とは異なり、新嘗祭翌日の辰の日という日になっています。

江戸時代にはおせちが定番に

江戸時代に入ると、この五節句はそれぞれ祝日として幕府から定められるようになりました。ここで、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日という、現代の節句の形が出来上がりました。また、「御節供」が庶民の間でも広がり始め、この1年の中で5回の節句の日に豪華な料理が振舞われるようになっていったとされています。

その中で、新年を迎える最も重要な人日の料理が、正月料理として定着を始めました。江戸時代後期に入るころには、それぞれの料理に意味が込められるようになっていき、新年を祝うための食べ物になっていきました。ここで、大みそかにおせち料理を家族で食べるといった風習も誕生します。

また、重箱スタイルが確立したのも江戸時代だとされています。江戸時代から中期の間では、酒宴では重箱が用いられていました。その後は硯蓋といわれるお盆状の器が用いられることが主流となっていきましたが、江戸時代末期には硯蓋の使用がなくなり重箱詰めるのが一般的になっていきました。

「おせち」と呼ばれるのは第二次世界大戦のあとから

江戸時代の末期には現代のおせちに大分近い形になってきました。しかし、この料理が「おせち」と呼ばれるようになったのは第二次世界大戦後とされています。それまでおせちは「喰積」や「蓬莱」という名称でした。

一般的に家庭で作る料理として広がっていましたが、第二次世界大戦後からデパートで重爆入りのおせち販売がはじまりました。ここで「おせち」といった名前で振り出されたことがきっかけとなり、広く一般的な名称として使われるようになったとされています。

おせち料理にはそれぞれ意味がある

おせち料理のそれぞれの意味をご存じでしょうか?何となく聞いたことがあると感じる方もいるかもしれません。先ほども触れたように、一般家庭でも食べられるようになった江戸時代、新年を祝うおせち料理に意味が込められるようになり、それが今の時代まで引き継がれています。

もともとは神様へのお供え物として作られた料理だったり、邪気を払う節句日に振舞われた料理であったおせち料理。他とは違った特別な存在であるということは現代でも変わりません。それぞれの意味を知ることで、お正月におせち料理と食べることの大切さを理解することが出来るようになるでしょう。

キーワードは奇数

おせち料理はとにかく縁起がいいものを詰め込んだ料理になります。昔から、奇数は縁起がいい数字として広まっていました。先ほどもお話ししたように、おせちは正式な段数が四段ですが。なぜ奇数ではないのかと不思議に思う方もいるかもしれません。この四段が正式な段数とされているのは、「完全な数字の三に、さらにもう1重ねた数」という理由があります。

この数字の三とは、昔から非常に縁起がいいとされており、そこにさらに付け加えることでより縁起がいい信念を迎えられるようにという意味が込められています。

日本のことわざや慣用句でも、この三という数字はよく使われています。「三度目の正直」「御三家」など、意識せずとも自然にこの三という数字は身近なものになっており、さらにこのおせちに欠かすことのできない「祝い肴」と呼ばれている料理も三品で、徹底してこだわった縁起の良さを感じることが出来ます。

料理ごとの持つ意味

「おせち料理にはそれぞれ意味がある」ということを聞いたことはありませんか?健康でいられるように、子孫繁栄を願ってなど、様々な意味がこのおせち料理の1つ1つに込められています。また、おせちは重箱の何段目に何を入れるかということもしっかり決まっています。それぞれの段には何が入るのか、さらにその料理の意味は何なのかを詳しくご紹介致します。

一の重

一の重に詰めるものは、祝い肴と口取りです。祝い肴は「数の子」「黒豆」「田作り」の三品、口取りは「栗きんとん」「伊達巻き」を入れるのが一般的になり、きんぴらごぼうや紅白のかまぼこなどもこの一の重に詰めます。羊羹や観点などの甘味類などを入れるというところもあります。

数の子子孫繁栄を願います。ニシンの子であることから、「二親健在」という意味も持っています。
黒豆まめに、勤勉に働くという意味が込められています。
田作り豊作への祈願をこめた料理です。
栗きんとん栗は昔から「勝ち栗」と縁起がいいものとして扱われていました。
伊達巻き見た目が巻物に似ているため、知識が増えるようにという願いが込められています。
昆布巻きこぶは「よろこぶ」に通じ縁起が良く、「子生」と書き子孫繁栄の願いも込められています。
紅白かまぼこかまぼこは日の出を象徴しており、白は神聖、赤は喜びやめでたさを表しています。

二の重

二の重には主に海の幸の焼き物を詰めていきます。ここで一般的によく使われているものがエビ、タイ、ブリなどになります。場所によっては、一の重で入れた口取りを二の重に入れるという場所もあります。

エビその見た目から「腰が曲がるほど長生きするように」という願いが込められています。
タイ「めでたい」という語呂合わせからきており、お祝いの席には欠かせない食材の1つです。
ブリ大きさによってその呼び名が変化する出世魚でもあるブリは、立身出世を願う意味で用いられています。
貝類おせちではハマグリが多く用いられます。左右の貝殻がぴったり合うのは1つだけのハマグリは、夫婦円満の象徴とされています。不老長寿を願ったアワビ、「福がたまるように」と願いをこめられたフクダメなどもあります。

三の重

紅白なますなどの酢の物を入れます。おせちの重箱の段数が三段だった場合、四段目に入る煮物がここの三の重に入ることになります。酢の物は日持ちするため、ご家庭でおせちを作る、ここから作り始めるという家庭も多いのではないでしょうか。

紅白なます赤と白のめでたい色合いで、のし紙などの水引に通じるものとして使われています。ニンジンや大根の根菜類のように根をしっかり張ることで、家の土台を強くするという意味もあります。
ちょろぎ漢字では「長老木」「長老喜」「千代呂木」と書き、長寿への願いが込められています。たいていは黒豆の上に1つ2つ載っているという場合が多く、赤と黒のコントラストが美しさを引き立たせます。
酢蓮レンコンはいくつもの穴があり向こう側を見通せることから、見通しの良い1年を過ごせるようにという願いを込めておせちに使われています。
菊花かぶ日本を象徴する菊は邪気を払い、不老長寿の意味が込められています。また、赤く染めた菊花かぶもあり、紅白を表すということもあります。
コハダ粟漬けコハダはブリと同じ出世魚です。粟は五穀豊穣として豊作を祈願する穀物で、食べ物に困ることの無いようにという意味が込められています。

与の重

里芋、クワイ、レンコンやニンジンなどの山の幸を使用して付く割れた煮物が与の重に入ります。他にも、ごぼうや八つ頭などもおせちの煮物でよく使われている食材になります。

里芋数多くの子芋がつく里芋は、子孫繁栄を願う意味があります。
クワイ大きくすらりとのびた芽をもつクワイは立身出世の象徴とされています。子株が多い様子は子孫繁栄をを表します。亀の甲羅に型取り不老長寿も祈願します。
八つ頭末広がりの八つく上に八方に頭があることから、先頭に立って活躍することを祈願する食材になります。親芋と子芋が一つに育つ様子は子孫繁栄を表しています。
ごぼう地中深くに根を張るごぼうは、家の基盤が堅牢であることを願うとされています。
筑前煮たくさんの具材や肉を1つの投げで作る筑前煮は、家族みんなが仲良く暮らせるようにという願いが込められています。

五の重

地域によっては後の重を使う場所もあるでしょう。しかし、ここには何かを詰めるということはありません。五の重は控えの重として空にしておくのが一般的になります。おせちは年神様へのお供え物です。そのため、年神様から授かった福を詰めるために空にしておくとされています。

将来の繫栄余地という意味を込めて空にしますが、デパートなどで売られているおせちはこの控えの重に巡り合うことはあまりないでしょう。最近では、この五の重に家族の好物を入れるといった家庭もあります。

昔のおせちと現代のおせちの違い

昔のおせちは和を中心として、いわば「日本のお正月の象徴」のような存在でした。しかし、最近ではその中身も大きく変わってきています。デパートなどで売られているものの種類は非常に豊富になってきており、和風の昔ながらのおせちはもちろん、洋風のものや中華風のもの、様々な食材を盛り込んだ和洋折衷のミックスおせちなどもあります。

さらに、冷凍配送が主流となってきた昨今では、産地直送の新鮮な地元の食材や、普段なかなか目にする事すらないような高級な食材まであり、まさにお正月の豪華なご馳走にふさわしいものが増えてきました。

現代は昔に比べ家族の形も大きく変わりつつあります。仕事で実家に帰れず、お正月をいつもと変わらないスタイルで過ごしている方も増えてきました。そのため、おひとり様用のおせちなども増加傾向にあります。昔のおせちは大きな重箱に入った料理を大人数で一緒に食べるというのが当たり前でしたが、そういった昔ながらの風景も大きく変化しています。

しかし、やはり日本人にとって、「お正月はおせち料理」というのは何年たっても変わることはありません。デパートや料亭のみでなく、コンビニやスーパーなどでもおせち料理の販売を行っており、やはりお正月と言えばおせちという形はこの先もずっと廃れることはないでしょう。

まとめ

おせちの歴史をさかのぼると、その始まりは弥生時代にまで遡っていきます。ですが、おせち料理という名前で一般にも大きく知れ渡ったのは終戦後という最近の出来事とされています。

江戸時代には様々な意味を持ち始め、めでたさや豪華さを一つに凝縮したおせちは、新しい1年の始まりにふさわしい料理として、これからも日本人のお正月を彩ってくれるでしょう。

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